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2007/07/18

高校野球の季節(その2)

前回に続いて、高校野球のお話です。
前回、昭和38年に北海高校が春の甲子園で準優勝したことを書きましたが、この当時私は小学校5年から6年になったときです。残念ながら、その当時の記憶はあまりはっきりしません。決勝戦の日は午前中で学校が終わり、午後試合を観たのですが、10−0の大差の敗戦でした。相手は後にプロ野球西鉄で活躍、八百長事件で球界を追われた池永投手がエースだった下関商業でした。この当時、北海道から応援に出かける人は少なく、準決勝で北海高校に敗れた早稲田実業の応援団が残って応援をサポートしてくれた記憶があります。
本格的に、観るようになったのは昭和41年の夏の大会からです。この年の南北海道代表は初出場の駒大苫小牧でした。一回戦横浜一商(現在の横浜商大高)に3−13で大敗した試合は見ていました。この学校は元ベガルタの岩本輝雄選手の母校です。この年は中京商業が史上2校目の春夏連覇をした年でした。
話を平成16年の夏に戻しますが、この年は前年準優勝のダルビッシュ擁する東北高校が優勝候補でした。この年の春は準々決勝で優勝した済美に9回の表まで4点リードしながら、ダルビッシュを温存し真壁投手が逆転サヨナラホームランを打たれ敗退していました。夏も伏兵千葉経大付属に雨中の接戦で敗れ、終わったなと思っていたところの駒苫の快進撃でした。横浜に打ち勝った次の相手は東海大甲府、監督の村中さんは東海大相模で巨人の原監督とチームメイトの左腕投手で甲子園での活躍が思い浮かびます。(東北高を破った千葉経大附の監督も桜美林高校が優勝したときのエースでした)打撃戦になりましたが、10−8で打ち勝ち、決勝戦の相手は愛媛県の済美高校です。愛媛県は四国を代表する強豪県。夏の大会の通算勝率は大阪、和歌山を抑えて47都道府県中第一位、優勝回数も夏の大会だけで6回、あの太田ー小比類巻バッテリーの三沢高校が決勝戦引き分け再試合で敗れたのも、愛媛の松山商業でした。ところが、意外なことに甲子園では北海道に負け越しているのです。愛媛以外の西日本の府県で北海道が勝ち越しているところはなく、高知など一度も勝ったことのない県もいくつかあるのです。また、済美の上甲監督は宇和島東の監督時代2回北海道の高校と当たり2敗しています。駒苫が勝てば北海道史上というか白河以北初の優勝。対する済美は春の初出場優勝に続き初出場で春夏連覇という史上初の記録がかかっていました。決勝は壮絶な打ち合いとなり、序盤5−1までリードされた駒苫が逆転、逆転されては追いつき引き離し、13−10で勝ちました。翌年も、田中マー君をはじめ3人の投手を擁して57年ぶりの夏の甲子園連覇。昨年も早稲田実業と3連覇をかけて戦いました。昨年までの3年間は以前の北海道の弱さを長い間観てきているだけに、夢のような3年間でした。
今日は、南北海道大会の準々決勝があり、駒苫は南北海道の雄、甲子園出場経験もある北照を破り準決勝に進みました。残った相手を見ると今年も甲子園に出てきそうです。
毎年、甲子園の予選が終わり、本大会出場校が決まると週刊朝日の増刊号が出ますが、それを片手に試合を観るのが毎年の恒例です。東北北海道が早い段階でいなくなった年も準々決勝くらいからは観ていますので、プロに進んだ選手達をみて、高校時代の甲子園の姿を思い出す事があります。先日この日記に書いた楽天-横浜ベイスターズ戦を見に行ったとき、横浜の先発土肥投手は春日部共栄高校が準優勝したときの2年生エース、横浜の古木選手は豊田大谷高校で甲子園出場し活躍した強打者でした。すらすらとこう言うと一緒に行った家内にあきれられます。
甲子園のお話はこれくらいにしますが、今年はどうなるでしょうか。宮城県は佐藤由規投手の仙台育英が力はあると思いますがどうでしょうか。毎年楽しみはつきません。
高校野球のデータを沢山持ち出しましたが、私は結構データ魔です。参考にしているのは、森岡浩著「まるわかり甲子園全記録」(新潮OH!文庫)と「激闘の記憶と栄光の記録」というホームページです。森岡氏の文庫は2001年刊ですのでデータが古く、「激闘...」ホームページは地方予選まで常にアップデートされていて、面白いです。ご興味のある方はどうぞ。


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